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  コドモゴハンピープル 02  
 
いつも“生活のなにげないモノ”として、書籍やおしゃれなテキスタイルのプロダクツを生み出す「Loule」主宰・甲斐みのりさん。なんだか家族愛溢れるオハナシ!
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名前 甲斐みのり
仕事 Loule 主宰/企画・監修/文筆/編集
家族 ビドという名前の猫と私
大好物 香菜/レバ刺し/おふ/チーズ/生湯葉
ひとこと 好き、がこうじて、京都『六曜社』のドーナツペーパーを作りました。お菓子のパッケージのディレクションの仕事、喜んでお受けいたしております。
Web Loule

日曜日の朝は「ホットケーキ」。
大きなテーブルの真ん中にちょこんと小さなホットプレートを置いて、
母が私と姉にボールに入れたホットケーキの生地を運んでくる。
私たち姉妹は、おもいおもい好きな形に生地をひく。大きなまるはお父さんの。
ちっちゃなまるいあかちゃんホットケーキは、家族の中で一番あかちゃんな
私の分。でもちっちゃいのはおなかいっぱいにならないから、
10個くらい作らないと。お皿の上は水玉模様。お母さんにはリボンのをあげる。
手先が器用なお姉ちゃんはハートや星の形をつくってる。
ときどきココアをといだホットケーキのための絵の具を使って、
マーブルにしたり絵を描いたり。

大好きだった「日曜日の朝ごはん」。
お誕生日の日にはフルーツポンチ。生クリームが嫌いでケーキが食べられ
な かった私のために、姉がつくる「誕生日ポンチ」。中に入れる白玉を、
粘土遊びをするみたいに、色んな形にするのは私の役目。
形を整え、つまようじで線を描きこんで、それを姉が茹でていく。

毎日かかせなかったのは「珈琲牛乳」。
18歳になるまで毎日起きたての私に母が運んでくれたもの。
今でも毎朝、京都の六曜社から取り寄せている珈琲を飲む。
きっとそれは、子どもの頃の習慣の続き。

子どもの頃、といって思い出す食べものはこのみっつ。
余談ですが、私は給食が全く食べられない子どもでした。
食べられないというより正確には、人前で食べることがなぜだか
とても恥ずかしかったのです。
特に、クラスに好きな男の子がいたときにはなおさら。
今でも人と食事をすることにとても構えてしまいます。私がなんの
気も遣わずに食事ができる人というのは、つまりとても貴重な存在です。

食べものの勘違いもかなりのもので、茶わん蒸しには「虫」が入っていて、
おはぎも虫をつぶしたのだと思っていました。
「虫なんてはいっていないよ」という大人の言葉に、
「大人は私を騙しているんだ」なんて、疑ってかかって、 偏食な子どもでした。
今はうってかわって、好き嫌いはほとんどない、食べることや飲むことが
大好きな大人です。


「お父さんのおさしみ」
私の父はお酒が好きで、毎日の晩酌の酒の肴に必ずおさしみがありました。
だけど私は魚やお肉で血が見える食べものが食べられなくて、
「きっと大人になったら血がついてても平気になるんだ」
そう信じていましたが、まんまと今は生ものが好物です。
最近の父は私に「日本人なら日本酒を飲まないと」といいます。
だから今は日本酒が飲める女性になることに憧れています。

もうひとつ余談です。
小学生のときに『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』で、
レストランのショーウィンドウに飾ってあるメニューサンプルの食べものを
加藤茶と志村けんが工場でつくっているのを観て、
「私も将来この仕事がしたい!」と思い、本気で父親に相談しました。
「食べものを作る人」ではなく、「食べもののサンプルを作る人」に憧れた
のです。私の考えるどんなことにもきちんと向き合ってくれた父は
「みのりが本当に食べもののサンプルを作る人になりたかったら、
工業高校へいけばいいんじゃないのかな」
とアドバイスをしてくれました。
私の5年生の文集の、将来の夢を書く覧には
「工業高校へいって、食べもののサノプルを作る人になる」と書いてあります。

京都は祇園の料亭で、お運びとして働いたことがあります。
そこではとにかく驚きの連続でした。からすみ、ばちこ、じゅんさい、
鯛茶づけやら。
おつきだし→お椀→おつくり→箸休め→八寸→酢の物→焼き物→炊き合わせ
→ご飯→デザート と、このような順番で箸を進めることと、食べることに
対して存在する最高のサービスを、祇園という花街で知りました。

かこさとしさんの『からすのパン屋さん』に、見開きで色々なパンが
描かれているページがあります。そのページを真似て白玉をこねていました。
てんぐパンとか、テレビパンとか、ソリパンとか。私もてんぐ白玉、
テレビ白玉、ソリ白玉を作りましたもの。
また、カラスのパン屋さんにでてくるカラスの名前が可愛いんです。
チョコちゃんとか、おもちちゃんとか。

お菓子家さんやケーキ屋さんの包装紙や紙袋、缶や箱といったパッケージが
大好きで、子どもの頃から集めていました。
ケーキが包まれる包装紙が欲しくて、無理矢理ケーキを選んで買う、
これは今でもそうかもしれない。東郷青児画の包装紙を見つければ即座、
ケーキ売りのお姉さまに声をかけています。
お土産、御歳暮、御中元、パッケージに優れているものを選んでお届けするの
が趣味のひとつ。そういう意味で京都には、食べものとパッケージともに、
美しい意匠のものが多くあります。
毎月、六曜社のマスター夫人と、京都と東京、綺麗だったり可愛い食べものを
見つけては、贈りあっています。
それはすでに習慣で、とてもとても楽しいことです。

私の生まれ育った街は「やきそばの街」。
私も「富士宮やきそば」作りには自信があります。
昔は「得意料理はフルーチェ」と答えていました。

中途半端は許せない。食べるのならば、美味しいものを。
最近では毎日きち んと3食たべていないので、生活習慣というよりは、
趣味に近い存在かもしれません。
 
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