日曜日の朝は「ホットケーキ」。 大きなテーブルの真ん中にちょこんと小さなホットプレートを置いて、 母が私と姉にボールに入れたホットケーキの生地を運んでくる。 私たち姉妹は、おもいおもい好きな形に生地をひく。大きなまるはお父さんの。 ちっちゃなまるいあかちゃんホットケーキは、家族の中で一番あかちゃんな 私の分。でもちっちゃいのはおなかいっぱいにならないから、 10個くらい作らないと。お皿の上は水玉模様。お母さんにはリボンのをあげる。 手先が器用なお姉ちゃんはハートや星の形をつくってる。 ときどきココアをといだホットケーキのための絵の具を使って、 マーブルにしたり絵を描いたり。 大好きだった「日曜日の朝ごはん」。 お誕生日の日にはフルーツポンチ。生クリームが嫌いでケーキが食べられ な かった私のために、姉がつくる「誕生日ポンチ」。中に入れる白玉を、 粘土遊びをするみたいに、色んな形にするのは私の役目。 形を整え、つまようじで線を描きこんで、それを姉が茹でていく。 毎日かかせなかったのは「珈琲牛乳」。 18歳になるまで毎日起きたての私に母が運んでくれたもの。 今でも毎朝、京都の六曜社から取り寄せている珈琲を飲む。 きっとそれは、子どもの頃の習慣の続き。 子どもの頃、といって思い出す食べものはこのみっつ。 余談ですが、私は給食が全く食べられない子どもでした。 食べられないというより正確には、人前で食べることがなぜだか とても恥ずかしかったのです。 特に、クラスに好きな男の子がいたときにはなおさら。 今でも人と食事をすることにとても構えてしまいます。私がなんの 気も遣わずに食事ができる人というのは、つまりとても貴重な存在です。 食べものの勘違いもかなりのもので、茶わん蒸しには「虫」が入っていて、 おはぎも虫をつぶしたのだと思っていました。 「虫なんてはいっていないよ」という大人の言葉に、 「大人は私を騙しているんだ」なんて、疑ってかかって、 偏食な子どもでした。 今はうってかわって、好き嫌いはほとんどない、食べることや飲むことが 大好きな大人です。